“中原淳一”の・・・ことば! |
そんな結晶のような“言葉”の殆どは昭和20年~40年代にかけて書かれたものであるというが、にも関わらず、時代を超えて今もなお決して色褪せることが無いのは、彼独自の美学が限りなく“真理”に近いからに他ならない。
今日はそんな言葉をご紹介。
● 美しい少女が、きどってすましているのよりも、そんなに美しくなくても、明るくほほえんでいる少女の方が、私にはずっと気持ちよく美しく感じられます。
● もしこの世の中に、風にゆれる「花」がなかったら、人の心はもっともっと荒んでいたかもしれない。
もしこの世の中に「色」がなかったら、人々の人生観まで変わっていたかもしれない。
もしこの世の中に「信じる」ことがなかったら、一日として安心してはいられない。
もしこの世の中に「思いやり」がなかったら、淋しくて、とても生きてはいられない。
もしこの世の中に「小鳥」が歌わなかったら、人は微笑むことを知らなかったかもしれない。
もしこの世の中に「音楽」がなかったら、このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。
もしこの世の中に「詩」がなかったら、人は美しい言葉も知らないままで死んでいく。
もしこの世の中に「愛する心」がなかったら、人間はだれもが孤独です。
(「美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事」より抜粋)
● ・・・身だしなみの本当の意味は、自分の醜い所を補って、自分の姿がいつも他の人々に快く感じられるように、他の人があなたを見る時に、明るくなごやかな気持ちになるためのものである。
● ・・・しあわせはまた、自分がしあわせだと感じたその瞬間にあるものです。何にでもしあわせを感じる人はその瞬間が沢山ある人、本当にしあわせな人と言えます。
● ・・・しあわせは心の中にあるもの、つまり自分がしあわせと感じることです。どんなに身のまわりにしあわせになることが沢山あっても、もし自分で「ああ、私にはこんなにしあわせがある」と感じなかったら、それは結局どうにもならないこと、その人は決してしあわせになることは出来ないのです。しあわせになりたかったら、自分の身のまわりのしあわせを自分で感じるような人になることが一番大切だということを知ってください。
・・などなど。
さてさて、私も探してみよう!。
たくさんあるだろう身の回りの“しあわせ”を・・・