予測出来なかった“地震”と“人間環境” |
死者10名、それに約9000人が避難所生活を強いられている。
その時、私は自分の5階のマンションにいて、その5階だから揺れを強く感じ
思わず両手で本棚を支えていた。
子どもの頃、“新潟地震”やその後“宮城沖地震”も体験していても
地球の自然現象、予測出来ないこの地震にはやはり特に恐怖を感じる。
人間は、地震のような予測出来なかった地球の自然現象によって
これまで世界中で多くの被害を受け、その対策に頭を抱えてきた。
この度「東京電力柏崎刈羽原発」がこの地震により
放射性物質が大気に漏れたことによって、これまでの原発のいろいろな問題が露呈した。
しかも、その建設は、2重3重の安全性により、絶対危険は無いはずが
どうしてM6,3までしか耐えられないギリギリの耐震設計だったのか
今回のように、その安全性を脅かすかもしれないM6,3を超える地震がありうる事や
刈羽原発の直下に断層があった事なども想定外だったのか。
1986年、31人が死亡するという事故を起こしたあの「チェルノブイリ原発」。
この毒性は10万年という単位で持続するのだから、原発の失敗は許されないはずだ。
(爆発したチェルノブイリ原発4号炉 ネットから)
原子炉が大爆発した、この旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を連想させる事態に、
地震による被害を抱え余震におびえながら、今度はこの原発におびえなければならなくなった。
私たちは、今更、携帯電話を捨て、エアコンを捨て、自動車を捨てて
原始生活に戻る事など出来るはずがない。
未熟な波力発電や、ダムによる水力発電・それに風力発電も景観問題まで発展している昨今
私は、「日本は、世界で唯一原爆の経験があるにもかかわらず、何故55基もの原発を持つのか!」
という批判や、その取り返しの出来ない原発の危険性を知りながらも
代替えエネルギーが無い限り、今の生活を維持するには
原発のその必要性は否めないと思っている。
だからこそ、「チェルノブイリ原発」や「東京電力柏崎刈羽原発」のような事故は
二度とあってはならない。
150億年前、無から突然ビッグバンによって宇宙が誕生し、(今も宇宙は膨張し続けているらしい。)
そして46億年前誕生した地球は、様々な地殻変動を繰り返し現在に至った。
今回の地震も、地球はただちょっとだけ“くしゃみをしただけ”なのだろうけれど
その自然の猛威を前に・・・人間はなんとも無力だ。
逆に、環境を予測出来なかったために人間が放出してきた二酸化炭素などによって
地球のオゾン層を破壊してしまうなど・・・・近年たかだか100年で地球という自然の恵みに対して
人間はずいぶんな事をしてきた。
1997年、ようやく京都で議決した京都議定書だが、温暖化の原因となった二酸化炭素などの
削減目標を日本は何の根拠も無い「6パーセント」と決めたにもかかわらず・・・守られてはいない。
( 守っていないのは日本だけではない! )
そして、これから発展しようとしているその途上国はそのエネルギーをどうすればいいのか?
私は以前から、この“地球環境”といった言い方にどこか和感を感じていた。
誕生したばかりの地球には勿論酸素は無かったわけだし
今も地球はとてつもないタイムスパンで、酸素など無くとも
ただそこに淡々と存在している・・・はずだ。
人間が、自分たちに都合の悪い環境に、誰でもなく自分たちがしてしまったのだから
“地球にやさしい”とか“地球環境”と人事のように言うのではなく
“生物環境”とか “人間環境”とか“人環境”などと表現すべきなのではないのかと思っている。
( こだわりすぎかもしれないが・・・ )
地球に奇跡が幾つも重なり、酸素に包まれ生物が誕生し知能豊かな人間が誕生した。
そんな私たちが、このまま何も出来ない、何もしないわれわれ人類として種の終焉に至るのか?
それとも、哀れにも核戦争を起こして絶滅してしまうのか・・?
だとしても地球は、宇宙の摂理によって淡々とそこにあるのだ。
私達人類は、今そんな岐路に立っていると思っている。
地震のような自然現象をいまだに予測出来ないが
私たちの“環境”などを予想することは出来るようになった。
だとすると、地震の予知や代替えエネルギーなどの開発がもし成功し
そして、何よりも全ての国が“核”を放棄することになれば
人類はようやくその種を守り・・そして生き延びる事が出来るのかも知れない。