福島紀行② “湯浅譲二” 展 |
次の日に郡山市立美術館へ向かった。
柳澤孝彦+TAK建築・都市計画研究所の設計であるこの美術館建築に興味を持ちながら
地元郡山出身の前衛音楽家「湯浅譲二展」を観るためだった。
昨日からかすかに降り続いていた雪が、この朝ホテルの裏側に見える景色を
こんな幻想的な風景に変えてくれた。
そして、まずはその美術館の建築。
このランダムな石畳と伸びやかな外観を眺めながら、駐車場から長く続く
屋根の付いたこのアプローチを渡っている僅かな時間に
ザワザワした雑踏から駆けつけた人達を、これから“芸術”に触れようとしている
穏やかな気持ちを・・・・少しづつだが作ってくれる、優れた建築にはそんな力がある。
その内部に入ると、奥に細長く伸びる吹き抜けのダイナミックなホールの空間。
硬いコンクリート打ちっ放しと柔らかな木の質感とがうまく構成されていて心地良い。
そして、「湯浅譲二展」会場の受付で、イヤホンを渡された。
この会場には、彼の作曲による1950年代のコンピューター音楽から近年のオーケストラの大作までの代表作が紹介されている。
現代音楽の作曲家「湯浅譲二」は、若いころに、詩人“瀧口修三”の下で結成された芸術家グループ「実験工房」で、あの武満徹らとともに活動、彼は、前衛的なその電子音楽を芸術まで進化させた音楽家だったのだ。
そしてあの映画、「お葬式」や「悪霊島」の音楽をも担当していたのだった。
音楽家だけに各ブースごとに彼が作曲した音楽が入ったカセットとイヤホンを接続
解説とその音楽を聞きながら、同じ「実験工房」の仲間の絵やオブジェとのコラボレーションを
味わいながら、徐々に「湯浅譲二」の世界へ入っていった。
その“音楽家の展示会”とはどのようなものなのか・・・私には想像出来なかったが
何やら「グラフ」のようなものがその展示の半分を占めていたのだ。
彼は、この「グラフ」を、音楽の設計図と表現していた。
緻密に計算されたこの音楽の、彼にしか出来ないこの方法は、
まるで、建築を設計し職人によって緻密に組み立てられていく様子に似ている。
公式カタログを読めば、家が代々医家だったこともあって、小学6年の時に
将来の希望を「外科医」「建築家」「映画監督」と書いたという。
彼の音楽とこの精密なまさしく音楽の“設計図”を見ていたら、もしかすると
その全ての職業の才能を持ち合わせていたのではないかととさえ思えてくる。
あるコーナーでは、1953年「実験工房第五回発表会」において発表された
この「駒井哲郎」のスライドと「湯浅譲二」作曲のミュージックコンクレートが体験出来た。
つまり、色紙に描いたこの絵をスライドにして、逆回転や機械的に加工・変形して作られた音楽が
同時に流される。
私には、はじめて体験する彼のこの音楽は、例えば宇宙に空気のような音を伝える媒体があれば
宇宙のどこかでこんな音を聞くことが出来るかもしれない・・といったような
この絵とあいまって現実を超越する世界の、幻想的な魅力と奥行きの深さに感動し
私にとっては、とても新鮮な感覚だった。
発表された当時は、もっともっと前衛的で驚嘆したに違いない。
時間を忘れ、いつの間にか彼の音楽に引き込まれていた。
そしてこの感動の余韻を持ち帰るため、急いで彼の「公式カタログ」を買い求め
時間を気にしながら、この日の最後に福島二本松にある「智恵子記念館」へ急いだ。