没後30年 “熊谷守一展” |
これまで「天童美術館」には何度か訪れ、その度に常設展の“熊谷守一”の作品に感動していた。
今回“熊谷守一”一色に染まった「天童美術館」を訪れ、今までに感じたことの無い“熊谷守一”の作品に触れ、改めてその魅力を感じ、「守一様式」なるものの確立された手法に
感動させられた。
「天童美術館」で1月27日(日)まで行われている“熊谷守一展”。
会場では年を追うかたちで、一章から五章までの構造になっていて、入り口に掲げられた数々の写真から、彼と彼の家族も含め、歩んできた足跡がわかりやすく構成され
私が知る“熊谷守一”の絵の魅力だった「守一様式」が確率するまで
そう簡単なことでは無かったことに気づかされた。
一章(形をつかむ)、
弱い光の中で輝く対象を好んで題材とした。
この初期の作品には鮮やかな色彩を用いた作品が少ない。
(蝋燭)1909年29歳、この絵で第三回文展にて“褒状”を受賞する。
二章(色をとらえる)
丁寧に表された作品と、その形はその形態を失い
輝く色の魂として表現された二極化が進んでいく。
第三章(天写の色彩 究極のかたち)
主題から陰影が消え、それを補うかのように赤い輪郭線が塗り残される。
いわゆる、対象を輪郭線で区切る手法の「守一様式」が徐々に確立していく。
このブログの冒頭に紹介した(後ろ向き裸婦)も、このころに描かれた。
第四章(守一の日本画)
守一は、1938年(58歳)ころから日本画も描き始める。
油彩の絵には、かなりの時間を費やす彼は、この日本画だけは瞬時にして描いていたと言う。
伸びやかに自由にどこへ向かっていくかわからない墨線は守一の真骨頂だ。
第五章(変幻自在の書)
紙面を自由に躍る文字を見ると守一の柔軟な発想、自由なこころを感じ取ることが出来る。
ひとつひとつの字から無限の想像を与えてくれる。
彼の作品は、年を追うごとにむしろ若若しさを感じ
97歳まで絵と向き合っていたという・・・その絵の”ふかさ”を感じ
今回はまた新鮮な感動があった。
彼は、60代になってようやく絵で食べていけるようになったらというが
以前いくら生活に苦しくとも、売るために“絵”は一枚も描かなかったという
彼の揺るがない信念にも触れ
私は、改めて“熊谷守一”の人間としての魅力にも触れた思いがした。