“大阪国際女子マラソン” トラックの女王「福士加代子」 |
昨日、陸上界で人気ピカイチの“福士加代子”が北京五輪を掛けて走る
「大阪国際女子マラソン」に、私は終始釘付けとなった。
5000メートルやハーフマラソンなどの日本記録を持つ「トラックの女王」“福士加代子”(25歳ワコール)だけに、「今度はマラソンまで制するのか?」「それにどのくらいのタイムを残すのか?」
私は、期待と興味で一杯だった。
流石にスピードのある彼女は、序盤から終始独走態勢を築き、後続を一時は500メートルの差まで広げ軽快に走る彼女の姿。
きっとこのままトラックに突入・・・そしてスタンドからの歓声と拍手に包まれる・・・はずだった。
ところが、30キロあたりから急激に失速した。
次々と後続の選手に追い抜かれ、走るというよりもまるでジョギングのスピードまで落ちた。
多分、意識に反して足が動かない状態だったのだろう。
私は、いつのことだったか、高橋 尚子選手が同じく終始独走態勢を続けながら
終盤信じられないほどの失速を見せた場面を思い出していた。
42.195キロ、何が起こるかわからないのがマラソンなのだろうか。
それにしても、いくら「トラックの女王」“福士加代子”だからといって
初マラソンに向けての調整期間が一ヶ月強という通常の1/3だったり
練習での最長距離が30キロだったりと、素人の私にはそのペース配分など全くわからないが
どう考えても、無謀な挑戦だったように見える。
せめて、42.195キロという距離がどのようなものなのか
一度は体験しておくべきだったのではないか。
「あんなにバネ使ってちゃ無理だよ、絶対に持たない。30キロ過ぎたらペースダウンするよ!」・・
とは、あの高橋尚子を育てた「小出義雄」氏、彼はスタート直後の福士の走りをこう分析していた。
流石に名監督・・・予想は的中した。
福士加代子は、その後足がもつれ何度も転倒し
そのはずみで鼻をすりむき鼻血が流れていた・・とも言う。
そんな場面を見ている私が辛くなるほどに、彼女は苦しい顔を見せていた。
転倒の崩れ方に危険すら感じた私は、「どうして止めさせないのだろう!“・・」と
まだまだチャンスのある彼女なのだから、将来を考えれば・・と思っていたのだが
今日の新聞によれば、福士は30キロを過ぎてから記憶がなくなり、残り2キロの地点で
「もう止めてもいいよ」という永山監督からの声に気付かなかったらしい。
そして彼女はそのままトラックへと入った。
スタンドからは、賞賛とはまた別の意味で・・割れんばかりの歓声と拍手が起こった。
そのトラックでも何度か転倒する。
ゴールを10メートル前にして又も転倒。
「起き上がってほしい!」という私達の思いの通りに
彼女はいつもの笑顔で立ち上がった。
その時スタンドiに見えた、涙の止まらないお母さんの姿が私達観客の涙を誘った。・・・そして笑顔でゴール。
その後、初マラソンの感想を聞かれた福士選手は
「面白かった」と、いつものように豪快に笑い飛ばして見せたという。
そんな彼女の、けた外れの明るさとおおらかさが、観客である私達の、苦しく辛かった気持ちを救ってくれた。
そして、私達に強烈な存在感と感動を残しながら、彼女は、マラソンでの北京五輪出場という夢は打ち砕かれた。
でも、何時か又必ずやあの笑顔でゴールするシーンを見せてくれるに違いない。
昨日の「大阪国際女子マラソン」
感動もあり、いろんな意味で考えさせられもした・・・そんなレースだった。
結果は 優勝はマーラ・ヤマウチ
森本友(天満屋)が24秒差で、日本人トップの2位に入った。
“福士加代子”は青森県出身で、中学時代はソフトボールの選手だったようだ。
高卒後にワコールへ進み、無名だった選手がトップランナーへと成長していった。
マラソンを拒み続けていた彼女が一念発起したのは・・「気が向いたから」 という。
北京五輪、昨年8月の世界選手権で銅メダルを獲得した「土佐礼子」が内定し
アテネ五輪で金メダルを獲得した「野口みずき」も同11月の東京国際を制し確実となった。
事実上、残り1枠!
あの高橋尚子は、今年3月の名古屋国際女子マラソンに出場することを正式に表明している。