『YBC クラシックモーターショー 2008』 |
私のパソコンには、永久保存しようと思っている大切なファイルがある。
それは、昨年の『YBC クラシックモーターショー 2007』で、展示されたクラシックカーの
全車種の写真が保管してあるアルバムだ。
世界の名車を目の当たりにし、写真ではなく、その“カタチ”のデザインや
車内のインテリアなどに出会える機会は「モーターショー」でなければ、まず無いといっていい。
今年のこの『YBC クラシックモーターショー 2008』の全車種の写真も
又永久保存の、貴重なアルバムとなった。
『YBC クラシックモーターショー 2008』の最終日、夕方4時半までだという時間に
私はようやく間に合うことが出来た。
子供づれの家族や、カップルや本格的なカメラを持って一台一台その美しさを
丁寧に写し撮ろうとしている人など、会場はそんな車ファンで大いに賑わっていた。
人を引き付けてやまない「クラシックカー」の、そんな中でも、私が特に印象的な車を
今日のこのブログでちょっと紹介。
スバル360ヤングSS (1956年) 356cc
軽自動車という規格自体は1949年から存在し、比較的安価でなおかつ十分な実用性を備えていて1960年代に一般大衆に広く歓迎された車。1968年ヤングSや、可愛いこの写真のヤングSS等のスポーティーモデルが登場した。ただ、どこから見てもあの「ルパン三世」が、アニメ『ルパン三世・カリオストロの城』で乗っているあの黄色い「フィアット500(チンクエチェント)」によく似ていて、製作された年代も第二次世界大戦後の1957年とほぼ同じ。
ホンダ 600 (1964年) 606cc
本田宗一郎お気に入りのテール(右の写真。)の張り出し形状は、嘘か本当か?
芸者のお尻をイメージしたものだといわれている。
当時の販売価格51万。
日産スカイライン (1971年) 2490cc
通称「ハコスカ」。
スカイライン時代の到来を告げた名車。
車名はその名の通り「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。スカイラインは2008年現在12代目なのだそうだ。
スカイラインは今も、私の友人などいろいろな人が乗っている。
フォルクスワーゲン タイプ2 (1966年) 1500cc
タイプ1ビートルに続くフォルックスワーゲンの二番目のモデル。旧フォルクスワーゲン製造会社は第二次世界大戦前にナチス政権の国策企業として設立されその後西ドイツ政府へ移管されて、1960年までは国営だった。そのため「フォルクスワーゲン法」という特別な法律が制定されたという。ドイツ語で「国民車」または「(ドイツ)民族の乗用車」の意味だという。
いすゞ117クーペ (1974年) 1810cc
1970年の日本車を代表する傑作の一つ。
21世紀初頭の現代に至るまで、その原型デザインは完成度の高いものとして評価されている。
1966年3月のジュネーブ・モーターショーで発表され、同ショーのコンクール・ド・エレガンスを獲得した。
ちなみに右奥は「マツダ コスモスポーツ」
フェラーリ365GT4/BB (1974年)4390cc
イタリアのランボルギーニ社が開発・製造、1971年トリノモーターショーでデビュー。
最高速度300km/hのカウンタックLP400より2km/h早いという。
とにかく車体が低い。
ランボルギーニ・ミウラ (1966年) 3929cc
イタリアのランボルギーニ社が開発・製造
伝説の「闘牛牧場ミウラ」の名にちなんで命名された。
ミウラのドアを全開にし、前から見た姿は正に大きく立った角をもつ闘牛に見える。
スーパーカーブームの最高峰車で、当時の私たちはどれだけこの車に憧れたか。
ランボルギーニ社長がスポーツカー好きで、フェラーリよりも早い車だという。
そして、私が一番魅了されたのがこの
シェルビー・コブラ (不明) cc不明
アメリカはテキサス州出身の50年代後半に活躍した元レーシングドライバー
キャロルシェルビーの設計で、彼の熱い思いで誕生したという。
小型軽量ボディだというが「“獲物を狙うかのような”凄まじい加速力」と表現されていた。
そしてあの大蛇のごときボディライン……を持つこのコブラ、米英合作で、
走る姿がスネークダッシュと表現されたという。
キャロルシェルビーは、若者に人気のあったマスタングのレースバージョンである
シェルビーGT350や、GT500を製作するなど、ますますフォードとの関係を深めていった。
このデザインは、流石レーシングドライバーだけあって、レーシングカーの雰囲気ではあるが
“クルマ”としての風格や、メカニックなマシーンとしてのイメージが、現代にも強く伝わってきて
私はこの“クルマ”を360°見渡しながら暫く魅了され続けた。
そして最後に、何よりも強い懐かしさが蘇り、いろいろな意味で見入ってしまったのが
ダイハツミゼット MP5 (1958年) 305cc
当時存在した軽自動車免許で運転できる三輪車を1957年にミゼットが発売開始。。
当時CMに大村崑を起用したのが大当たりとなり“ミゼット”は一躍ベストセラーとなった。
それとは別に、私が小学生だった当時、“綿”の打ち返しや布団の販売をしていた親父が、そのころはまだ多少裕福だったのだろうか
近所ではまだ車そのものが珍しい時代、この「ダイハツミゼット」に乗って商売をしていたのだ。
そして、何年前だったか、宮城県の川崎でこの「ダイハツミゼット」がいまだに
走っているのを見たことがあって、私は思わず車を止め、通り過ぎるその姿を
じっと見つめていたのを今でも覚えている。
このモーターショーで、懐かしくもダイハツミゼットを眺めながら
昨年三回忌を迎えた親父の、若く元気に働く姿を思い出していた。