二つの “ピカソ展” |
どこからなりともやってくる
感動を受け入れる、
貯水タンクのようなものだ。
天から、地から、
紙の切れ端から、
通り過ぎる形から、
蜘蛛の巣から、
どこからなりとね」
パブロ・ピカソ
(写真は全て図録より)
東京渋谷「Bunkamura ザ・ミュージアム」での・・『ジョン・エヴァレット・ミレイ展』で、「オフィーリア」という悲しくも美しい一枚の絵や、光の天才画家・・・『フェルメール展』で、人間の輝く一瞬を捉えた
36枚のうちの7枚もの絵が、上野の「東京美術館」に集結、そんな感動の連続だったのは、まだ一ヶ月前のことだ。
その時同時に行われていた、六本木「新国立美術館」での『巨匠ピカソ 愛と創造の奇跡』展と、「サントリー美術館」での『巨匠ピカソ 魂のポートレート』 展の、この二つの”ピカソ”展にも、衝撃的な感動があったことを、私は決して忘れてはいない。
私は、幸運にもこれまでどれだけのピカソの絵に出会い感動したことだろうか、近年では昨年の七月、盛岡美術館での「ピカソ展」、大分前にフランスを訪れた時のパリにあった「ピカソ美術館」での感動、それに・・何時だったかスペインを訪れた時にマドリードまで足を延ばし、「ソフィア王妃芸術センター」にある、縦3.5メートル、横7.8メートルというピカソの最高傑作「ゲルニカ」を目の当たりにした時、私の奥深い芯に響く何かを感じ・・しばらく立ち尽くした記憶が蘇る。
幸運にも今回は、絵に限らず、ピカソが生み出したコラージュや彫刻など、国内にいながらにして
230点もの作品を目の当たりにすることができた。
ピカソの『巨匠ピカソ 魂のポートレート』 展では、主にピカソの自画像をテーマに、60点もの作品を通して、ピカソ自身が自らの存在を問い続けた、”内なるピカソ”に焦点を合わせる。(下はチラシより)
親友「カサヘマス」の自殺に衝撃を受け描き続けたという、暗さを感じる「青の時代」から始まり、生涯愛した人の一枚一枚の絵を通し、「ピカソほど生涯を通じて、内なる心と向き合い、自らの人生を創作に反映させた画家はいない・・」と言われる訳を、私は、この二つの「ピカソ展」を通して、肌で感じることができた。
「新国立美術館」での『巨匠ピカソ 魂のポートレート』展の最後に、会場の出口附近に、91歳の生涯を閉じる一年前に描かれた、「若い画家」と題された、ピカソ最後の自画像だという一枚の絵が掲げられていた。私はその絵を見詰め、そして暫くの間・・・目が離れなかった。(左)
この自画像を描いたのは・・・・・・
あの、圧倒的なその構図の迫力と、無彩色でありながら色の深ささえ感じさせ、抽象化することによっなお深く伝わってきた完璧なまでの芸術品”ゲルニカ”を描いた、あのピカソのなのだと。
私は、この絵を見詰めながら、ピカソ自身が、新たな芸術に立ち向かおうと、90年間という自分の全ての痕跡を消そうとするかのようにも見え、又、生きる・・ことと、愛することの全ての苦悩から解き放たれた・・・ようにも見えた。
「私にとって、
一枚の絵を描くことは、
そのさなかに現実が
ばらばらに
引き裂かれてしまうほどの、
一つの激しい戦闘を
開始することと
同じなのだ」
パブロ・ピカソ
人間”ピカソ”の、”ひと”として91年間生き抜いたこの膨大な痕跡は、永遠と人類の遺産となるのだろう。