東北三県紀行③ “宮沢賢治” |
彼の世界をどう舞台に表現できるのか、”賢治”の魅力に夢中になったことを覚えている。
下は{宮沢賢治記念館}にあった、その生の原稿。(字は意外と汚い!)
(以下、写真資料は「宮沢賢治記念館」の公式カタログより)

多くの人達に影響し続けるこの、誰もが知る“宮沢賢治”
今さら語る必要などないと思う・・・その反面
逆に深遠な思想と、詩・童話・教育・農村といった幅広い彼の内なる“宇宙”を
理解するのは容易な事ではない。
今回の旅行でとても楽しみにしていた岩手県花巻市にある“イーハトーブ館”と“宮沢賢治記念館”で
改めて彼の努力と、類まれな才能に触れてみた。


“イーハトーブ館”の入り口に、彼とすぐにわかる
あの“賢治”の見慣れた写真が
等身大よりちょっと大きなシルエットになって置いてあった。
そのセンスも光るが、その“賢治”・・何か・・・かっこいい!

(日輪と山) 画:宮沢賢治 水彩画
絵を描いても、その味わいのある彼らしい何ともいえないその表現・・才能が光る。
小学生の頃だろうか、あの「雨ニモマケズ~・・・」 を元気に大きな声で
何度も朗読した事を思い出す。
でも、以前テレビか何かで、その「雨ニモマケズ~・・・」の詩を、“宮沢賢治”に
傾倒している数人が、「彼は、この詩をどのような心境と状況で読んだのか・・?」を
“朗読”で表現されていたのを覚えているが
ある人は、病床で作ったのだから、弱く・・細い声でゆっくり読む。
ある人は、この地方の方言による発音で言葉に抑揚をつけ、“賢治”の性格まで理解し
言葉の“間”も自分流に表現していた。
死に逝く妹を見つめながら詠んだ、私の好きなあの 「永訣の朝」 を
「“賢治”が生きていれば、今どんな読み方をするのだろうか・・?」 などと
私も真似をして朗読してみたり・・・・して!
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
春の修羅 「永訣の朝」 詩:宮沢賢治
何度読んでも胸が熱くなる。
彼のこの限りない”愛”と”優しさ”とその”深さ”・・・・。
誰をも、どこまでも引き付けて止まない“宮沢賢治”。
生涯独身だった彼も、あの“春画”を数百枚持っていた事・・・・・は
あまり知られていない・・・かも知れない。