「岡本太郎」 と 「フランシス・ベーコン」 |
「ムンク」の、体から搾りだされるような、あの『叫び』・・の絵とは違って、「フランシス・ベーコン」(1909-1992)の描いた、この・・『叫ぶ教皇の頭部のための習作』(左)・・の前に佇めば、あの「産声」という叫びから、怒りの叫び・・、悲しみや恐怖や苦痛の叫び、・・と言った、人間が持ち合わせた全ての叫びが含まれているのではないか・・と感じさせるのである。それは、たとえ声にならない叫び・・さえも!。
(画像は全て図録から)
そして、私たちはその誕生によって輝かしい未来に包まれるのと同時に、多くの背負いきれないほどの現実を否応無く贈与される。そしてその表出を受容される中で、私たちは、私達自身が・・、”自己が存在する”、ということを引き受けていくのだという。
二つの大戦のさ中、民間防衛軍の空襲対策部に所属していた「フランシス・ベーコン」は、生存者や死体を捜す日々に明け暮れ、宗教(神)によって救われなかった多くの人体(死体)を目の当りにしていた。
芸術から出現するものはもはや理想でもなければ調和でもない。芸術が与える解決は、矛盾にみちた不協和音と、混沌とした曖昧さの中に見いだされなければならない。
フランシス・ベーコン
ベーコンは、世界大戦後の人間を、いわば絶滅収容所の肉塊のように描いた。一見おぞましいその画面は、しかし、宗教画のようなに壮麗でもあるのだ。ベーコン展が美術館を収容所の残酷と大聖堂の荘厳を兼ね備えた異様な空間に変えてしまうのを、その空間を声にならぬ叫びと黒い笑いが満たすのを、われわれはぜひとも目撃せねばならない。
批評家 「浅田 彰」
世界に知られた巨匠と言われる昨今の、東京国立近代美術館「フランシスベーコン展」・諸橋美術館「岡本太郎展」を観て、共通に感じる事があった。生まれた時期も、それぞれ第一次二次大戦を目の当りにし、芸術の変革時期にさしかかりながら、自らの手法を貫き通したこの二人。
先日訪れた「岡本太郎展」の展示場には、数々の絵とともに、「岡本太郎」自身の言葉が文字になって掲げられている。
何のためにこの世に来たのか
そして生き続けているのか
ほんとうを言えば誰も知らない
本来、生きること死ぬことの
絶対感があるだけなのだ 岡本太郎
「今日の芸術は、
うまく あってはならない。
きれい であってはならない。
ここちよく あってはならない。」
岡本太郎
それは、画家に限らず、人間なら誰しも自分の存在の意味やどう生きるのか、生きなければならないのか、命とは何か・・を、突き詰め、行動や“カタチ”にしてみせる。ある人は、それを音楽に、又ある人はそれを映画に、そしてこの画家たちも自分の手法で、その“カタチ”を絵画にして観せたのである。
全国に広がる「縄文土器」に、日本の美(芸術)を見出し、「縄文土器論」や「沖縄文化論」など独自の文化論で社会を挑発し続けた「岡本太郎」。彼自ら撮影したと言うこの縄文の「土偶」は(上)、何故か「太陽の塔」のてっぺんで構える顔に似てはいないだろうか?。
今日の最後に・・・
実ゆーとピカソよりベーコンの方がスキなんだ。
超エロだもんね。
なんてったって芸術家は狂気と色気だからね。 フォトグラファー「荒木経惟」
宮城県美術館で、今開催中の「ゴッホ展」・においても、この二人の芸術家と共通する“何か”・・を、感じずにはいられない。